いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

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「臨時法話 宗教的感動! ~東日本大震災一周忌慰霊並びに復興祈願法要厳修に想う~」

 私達日本人にとって、この一年間ほど「命」について考えさせられた年はなかったのではないでしょうか。平成23年3月11日の東日本大震災により、行方不明の方を含めて二万人近くの人が亡くなりました。そして声高に「繋がろう日本」「絆」「頑張ろう!」等々‥‥が叫ばれてきました。
 大震災から一年が経過する時期に当たり、各方面で一周忌法要が開催されました。当圓應寺が所属する「真言宗智山派」の総本山・「智積院」(京都)においても一周忌法要が執り行われましたが、私共「真言宗智山派山形村山教区」においても、去る3月10日標題の法要を実施いたしました。今回、臨時法話としてこの模様と私の想いを述べます。

◆東日本大震災一周忌慰霊並びに復興祈願法要

 去る3月10日、「東日本大震災一周忌慰霊並びに復興祈願法要」を真言宗智山派山形村山教区主催。同庄内教区と置賜教区協賛の下、多くの管内寺院住職・教師(僧侶)、寺庭(住職の妻)、檀信徒、地域住民の方々、そして被災されて山形県内に避難されている方々の参加を得、教区宗務所の圓應寺において開催することが出来ました。僧侶を含め参加者全員、全てボランティアとして参加していただきました。以下その状況です。

会奉行 地蔵院住職 村山英隆師

 県内の吉村憲昭庄内教区長、佐田喬置賜教区長の他、杉田広仁宮城教区長の参加をいただき、総勢真言宗僧侶27人による大法要となりました。上堂の鐘の音が響く中、僧侶が入堂。会奉行(エブギョウ 法要全体を取り仕切り、司会・進行・解説等を担当)の開会宣言で法要が始まりました。最初に、参加者全員で「智山勤行式」をお唱えいたしました。全員がご焼香だけではなく、積極的に法要に参加している実感を持つことが出来ました。

管長猊下ご垂示代読 山形置賜教区長 佐田喬師

 真言宗智山派管長・寺田信秀猊下の「ご垂示」の奉読(佐田喬置賜教区長代読)

東北北海道ブロック長登嶋弘信師 おことば代読
庄内教区長 吉村憲昭師

 東北北海道ブロック教区長・登嶋弘信師「慰問の章」の奉読(吉村憲昭庄内教区長代読)

導師 山形村山教区長 圓應寺住職 埀石啓芳

 「奠供(テング)」というお経の後、導師を勤めた私が法要表白文を読み上げました。少し長いのですが、その文章を次に掲載します。

東日本大震災一周忌慰霊並びに復興祈願 表白文

 敬って真言教主大日如来、両部界会諸尊聖衆、別しては本尊聖者大勢至菩薩蓮華部中諸大眷属、般若理趣甚深妙典、弘法大師等三国列祖、総じては尽空法界一切三宝の境界に白して言うさく。
 夫れ惟れば、日頃の美しく、生活に恵みを生む自然も、時として牙をむくものなり。
 去年今月今日、大地震・大津波の東日本大震災、加えて原発事故による放射能汚染の大災害が発生。戦後最大の未曾有の自然災害と広島・長崎以来の放射能の脅威に遭遇する。
 一万五千八百有余名の死亡者、一年を経過した現在も尚、三千二百有余人に及ぶ行方知らずの方々と身元不明の四百七十八人のご遺体、そして二十六万有余人に及ぶ仮住まいの人々。家族、友人知人、自宅、仕事場等々、生活とその基盤をことごとく失った被災者の方々、加えて放射能汚染により、祖先から代々受け継いだ土地、それぞれの先祖と同居していた古里を追われた多くの人々に、心より哀悼の祈りを捧げると共に、衷心よりお見舞い申し上げ、被災者と被災地が一日も早く平安なる日々を迎え、早期の復興ならんことをここに祈念するものなり。
 震災発生以降、当・真言宗智山派山形村山教区に在って、青年層を中心に被災地へのボランティア、県内斎場に於ける読経ボランティア、そして義援金の寄進等々の活動を展開。昨年四月二十八日には四十九日忌慰霊法要を厳修する。
 しこうして本日茲に、真言宗智山派管長・寺田信秀猊下のご垂示、東北・北海道ブロック長・登嶋弘信教区長のお言葉並びに杉田広仁宮城教区長ご臨席の下、庄内教区と置賜教区の協賛を仰ぎ、県内諸大徳をはじめ多くの檀信徒・地域住民並びに被災されて山形県内に避難されている方々を迎え、山形村山教区主催による一周忌慰霊並びに復興祈願法要を厳修す。
 伏して思う。去年・あの日あの時まで、命を・人生を謳歌していた人々が、一瞬にして命を落とすことに。「約束された明日の命」は無いとは言え、大自然の猛威は我々人間の叡智と力及ばざるを知らしめる。ここに亡き人の精霊並びに、人智の及ばざる世界に祈りの誠を捧げ、以て大日如来の境地に引導するもの成り。ここに参集の総意一心に結集し、弘法大師のご宝号「南無大師遍照金剛」を唱え奉るものなり。
 抑も一周忌は大勢至菩薩の三昧也。夫れ大勢至菩薩と者、神力十方に遍く悲願三世に亘る。恭敬供養の人は足を運ばざるに、諸仏の宝刹に遊び、信心帰依の輩は手を揚げざるに仏性の蓮華を開かん。茲を以て参詣の面々、瑜伽の壇場を立てて大勢至の秘法を修す。若し爾らば過去精霊、大悲の汲引に依ってはやく三界の梵籠を出て菩薩の願力に乗じて、速やかに一実の真路に入らん。加えて避難生活を強いられている被災者をはじめ、多くの関係者の一日も早い平穏なる生活、並びに被災地の復興を祈願するものなり。
 重ねて想う、一周忌は忘却の節目に非ず。新たな想いを込めた節目として物故者・被災者・被災地に心を寄せ祈りを続けるものと。
 乃至法界 平等利益

  平成二十四年三月十日
 真言宗智山派山形村山教区長
   大慈山圓應寺導師
         啓 芳 敬白

遍照講講員70人による御詠歌

 27人の僧侶による読経が、本堂全体に響き渡りました。その響きは厳粛であり荘厳であり美しくもあって、参加者の心に仏の心を伝え続けました。その読経の中で、山形村山教区遍照講々員(寺院に支部として組織された「御詠歌講」に入っている人を「講員」と言います)70人による御詠歌「追弔和讃・付彩雲」が奉唱されました。講員の支部は別々ですが、一堂に会した70人の御詠歌は、見事に一つになり、亡くなった方の追悼と密厳浄土の世界を唱え上げました。一般の参加者にも歌詞が配られ、食い入るように見ながら聴き入りました。

避難者代表 佐藤眞敏氏の「祈りの想い」

 被災されて山形県内に避難されている方々にも参加いただきました。その中で、福島県双葉郡浪江町で大地震・大津波に被災、加えて放射能汚染のため、避難されている佐藤眞敏さんに代表いただき、「祈りの想い」と題してお言葉を頂きました。参加者の多くは、被災された方の言葉を実際にお聴きするのは初めてです。佐藤さんの言葉に改めて被災の実態とご苦労をお聴きし、ハンカチを手にする方が続出しました。佐藤さんご本人の了解を頂きましたので、以下そのお言葉を紹介いたします。

「祈りの想い」

 平成23年3月11日大震災に見まわれたあの日から、明日で1年になろうとしています。
 私のふる里、福島県浪江町は、東は太平洋、西は阿武隈山系の山並みが連なり、それを水源とする2つの川が太平洋に流れ込み、イワナや鮎、秋には鮭が海から群れをなして遡上する自然豊かな町でした。原発から10キロ圏内にあり、自宅は太平洋に面した請戸港の近く、海岸から20メートル程離れた所にあり、小さい時から波の音を聞きながら生活をしてきました。海岸に出ると南方5キロ先には東京電力福島第1原発の施設が見える環境でもありました。
 あの日の大地震は1才3ヶ月の孫と手をつないで外に出かけた妻を見送り、テレビを見ていた時におきました。今まで経験したことのない強い揺れに襲われ、物が散乱する中、孫と妻をさがして外に出ると自宅の後方でうずくまる2人を見つけました。揺れがおさまるのを待って自宅にもどるとテレビから大津波警報が流れており、続く強い余震に私は「津波が来る」と咄嗟に判断し、すぐに3人で4キロ離れた長男夫婦が勤める“いこいの村なみえ”に車で向かいました。途中、電柱が倒れそうになる程の余震に何回も遭いながら何とかたどり着くことができました。職員の人達も外に集まっており、私達が一番早かったようでした。次々と避難者が集まり施設の中や駐車場はいっぱいになり、無事を喜びあう人、家族がばらばらになり心配する人、テレビから流れてくる報道に未曾有の大震災であること、私達の住んでいた請戸地区も津波で全滅したことを役場の人から聞き、茫然自失の中、一夜を過ごしました。12日の朝6時ごろに施設長より原発が危ないので10キロ先に避難するようにと伝達があり、とりあえず南相馬市から飯館村を経由して浪江町の山間部に入り、町の施設の駐車場で一夜を過ごしました。13日の朝5時頃に長男夫婦と共に山形市に住む長女夫婦のもとに避難し、その後一族12名で10日間生活した後、23日より上町サンタウンに移り現在に至っております。
 初めてのマンション生活に慣れるまで時間はかかりましたが、山形の季節の移り変わりの中で、春は新緑と花の香りを、暑い夏も経験し、秋には山々の紅葉をながめ、毎日降り続く雪に驚きながらこの日を迎えました。その間には、山形の皆様、マンションの大屋さん、近所の人達の温かい励ましと、やさしい心遣いに癒されました。また先祖の供養に親身になっていただいた円応寺の住職様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 ふる里はいまだ警戒区域で、先の見えない状況の中にありますが、私達は山形の地より1日も早い復興を願いながら、春から仕事を始める長男夫婦、2人の孫と共に生活していきたいと考えております。最後にこのように盛大に一周忌及び復興祈願法要をしていただいた関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

佐藤 眞敏

鈴木昭 後藤直美両氏による癒しの合奏

 佐藤さんの「祈りの想い」に続いて、鈴木昭 後藤直美両氏による癒しの演奏に入りました。しっとりとした雰囲気の中に「うさぎお~いし かのやま~」を奏でる、電子オルガンをバックにしたクラリネットのメロディーが流れました。全員、佐藤さんの古里を思い起こし、ほとんどの方が目頭にハンカチの状態となってしまいました。その人々の胸に、静かに静かに音色が響き、メロディーと参加者の心が一体となり、哀悼と復興への想いに胸震えることに‥‥。

 法要の最後に、私が主催者を代表してご挨拶を申し上げ、同時に皆さんとの想いを「法話」として時間を頂きました。法話の概要と私の想いを紹介いたします。

主催者挨拶・法話 埀石啓芳山形村山教区長

 皆さん、ご参加お参りいただき有り難う御座いました。私達僧侶は心を込め読経・お参りさせて頂きました。
 さて、昨年3月11日午後2時46分のその瞬間まで、多くの老若男女は人生を謳歌し、生きることの最中にいました。しかしアノ一瞬から2万人近くの多くの人が亡くなり行方不明となりました。私達は、「今日があれば明日があり、明日の先には明後日がある」という日常の中に生きていると言えないでしょうか。地球という大自然の舞台では、自然に明日、そして明後日が巡ってきます。「人生80年」の私達も、明日があるのが当たり前のこととして日々を生きているのではないでしょうか。
 しかし大震災により、「明日が保障された命はない」ことを強烈に思い知らされました。そうです自然はいつも美しく、感動的であり、私達人間に生活の恵みを与えてくれるとは限りません。時には牙をむいて脅威となる存在でもあるのです。私達人間の力、叡智の及ばない大自然があるのです。現代社会は、自然に立ち向かいそれを征服するのが人間であり、そこに幸せがある‥‥との価値観に、陥ってはいないでしょうか。
 亡くなった方々、被害を受けた多くの方々、そして被災地に祈りを捧げると共に、一日も早く平安な日々が来ることを祈念するものです。併せて、私達人間の力と叡智が及ばない世界にも心を込めて祈ることこそ、今必要なのではないでしょうか。
 私達日常生活にあっては、今日という一日、今という一時を大切に生きることが求められます。大切に生きること、それは自分のため、自分の利益のためだけに生きることではありません。自分と共に自分以外の人々のためにも生きることを仏教は教えています。仏教は死者へのお参りばかりで「仏教は暗い」というイメージが強くもたれている感じがあります。しかし仏教は死者に対して畏敬の念を持ってお参りをすることが柱の一つではありますが、それだけではありません。生きている人々、貴方であり私達を仏にする宗教なのです。「私達を仏にする」ために、自分と共に自分以外の人々のためにも生きること。仏教ではそれを「自利利他行」と言っています。
 その行をより具体化し実行するために必要で大切なものがあります。理論理屈だけで私達は十分ではありません。人間らしい「感動」が必要なのです。感動は幾百万の命ある生きものの中で、人間にのみある大切で最大の特徴です。皆さん! 今日は感動したのではないでしょうか。この感動は、単に佐藤さんの言葉に、そして音楽の響きに感動したと言うことではなく、慰霊と復興を祈願する法要の中での言葉であり、演奏だったからこそ震えるほどの感動を覚えたのです。言い換えますとこれこそ「仏様と一体になった感動」であり、「宗教的感動」と言えるのではないでしょうか。
 皆さん! この宗教的感動を大切に持ち帰ってください。そして日常の生活に生かして「自利利他行」に励んでいただければ幸いです。
 避難者の皆さん、悩んだり、困ったことなど日常の生活の中で何かありましたらどうぞお話下さい。お近くのお寺にどうぞおいで下さい。 

義援金を頂く教区役員

 法要修了後、皆さんに義援金のお願いを致しました。多くの方々から募金を頂きました。

 法要当日は、テレビ局4社、新聞2社の取材があり、10日夕方のテレビニュースで放映され、翌11日には新聞2紙に掲載されました。県内の人々と共にお参りできたのでは‥‥。と思っております。

「東日本大震災の一周忌慰霊 山形で復興祈願法要も」2012年03月10日

 寄進いただいた総額295,042円を14日、山形新聞愛の事業団をとおして日赤に寄進いたしました。
 (山形新聞 平成24年3月15日付にその様子が掲載されています。)
 私達は、多くの方々の協力をいただき、一周忌法要を実施することが出来ました。しかし被災された方にとって、一周忌は一つの節目ではあっても区切りではありません。私達は、区切りとして忘れてしまうことなく、節目として次に向けて祈り続けることが大事だと思っています。
 さて、多くの方々が被災者の方々に対して、「頑張れ!」と言い過ぎていないでしょうか。この一年間、被災者の方々は頑張って願張って頑張りとおしてきました。「これ以上何を頑張るの!?」と言われそうです。私達に出来ることを私達が頑張る必要を感じます。
 今回、臨時法話として述べた私の想いは、今後も毎月更新しているホームページで重複した形で出て来ると思います。それは基本テーマ「いかに生きいかに死ぬか」の一柱でもあるからです。