いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第9回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】4~7

「“いのち”とは何か なぜ尊いのか 1」

Ⅲ-4.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ①

 「大事ないのち」「いのちは大切」「いのちは地球より重い」等々、いのちの大切さについて良く語り良く述べられます。
 そうです!いのちは本当に尊く大切なものです。
 それではその「いのち」はなぜ尊く大切なのでしょうか。私が住職として務めている圓應寺の宗団である「真言宗智山派」の出版物「生きる力SHIGON vol.60」を参考に次のⅢ-5、6と7で述べることにします。

Ⅲ-5.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ②

命の根源

 科学が進んだ現代にあっても、私達人間の手によって「いのち」をつくることは出来ません。「IP細胞によってどんな細胞でもつくられる時代が来る」と言われておりますが、その基礎となる細胞そのものを一からつくることは出来ません。つまり「いのち」そのものは現代の科学力でもたった一つの細胞すらつくることは出来ないのです。
 私達「ヒト」は、なんと 60兆もの細胞、300種類の異細胞種で様々な器官や臓器からなっているといわれます。しかもその多くの細胞と器官や臓器は、皆協調・協力してヒトをつくり上げ、喜怒哀楽を持った私達の「いのち」があり、「人間」が誕生しているのです。

Ⅲ-6.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ③

死んで生まれる命

 しかもその細胞は、毎日60兆の200分の一に当たる3千~4千億の細胞の死があって、又新たな細胞が生まれるというのです。
 私達の体(命)自体が生と死を繰り返しているのです。つまり死があって新しい生があり、その過程の中に「命」があると言うことになります。
 しかもその人類の歴史は、生命誕生以来脈々として受け継がれ、私達の現在があることになります。

Ⅲ-7.「いのち」とは何か なぜ尊いのか ④

地球誕生から現在を一年とすると

 12月31日22時56分21秒に、人類が誕生(百万年前とすると)したことになります。一年の残り僅か一時間程となります。20歳の人は0.17秒しか生きていないという計算に。宇宙的感覚から考えますと人類はものすごく永い時間を経てから誕生した訳ですが、その後進化し、受け継がれて現在の私達がいるのです。

果てしなく続く タクラマカン砂漠

 一巡りした次回の「有限の人生そして『死』を意識して」の項でも「『いのち』とは何か なぜ尊いのか」について触れたいと思います。