いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第3回

その他 住職略歴・臨時法話など

「臨時法話 東日本大震災被害者四十九日忌慰霊法要」

 4月28日は、「3.11東日本大震災」から四十九日に当たる日でした。 当・山形市は、宮城県仙台市と直接接している正に、隣の市であり、隣の県になります。 その山形市ではほとんど被害は有りませんでしたが「被災された方々に何かできることは?」と多くの人々が考え、義援金をはじめボランティア等、自分に出来る支援を実行しています。 私達、真言宗智山派の山形村山教区管内の僧侶にあっても全く同じことです。義援金の他、青年層を中心に瓦礫撤去ボランティアの他、宮城県内の火葬場だけでは火葬できないご遺体が山形県内に搬送され、県内での火葬も相当の件数となりました。 この方々は、枕経・納棺時の読経そして葬儀はほとんど出来ないのが実態です。そこで火葬の直前にせめて短いお経を! と3人の僧侶が「読経ボランティア」に立ち上がりました。私も僅か半日でしたが、3人のご遺体の前でお経を読まさせていただきました。 その中心にあった光徳寺住職・沖津宣照師は、「はじめの頃は自分たちも慣れないため、『読経させていただいて良いですか?』と伺うと『布施を要求されるのでは‥‥?』と警戒されたこともあった」と。

 この様な活動の中、私が、上記管内の教区長を拝命していることもあり、多くの犠牲者と行方不明者の四十九日忌法要を、お布施・交通費等が一切無しのボランティア活動として管内寺院に提案。 急であったものの、過半数の寺院と檀信徒並びに当寺の近隣住民130人が、会場の当・圓應寺に参加、焼香いただきました。仏教にあっては、四十九日は大変大きな節目の日と位置付けられています。 その日までは、亡くなった方はまだ娑婆の世界(人間界、此岸)にさまよっているが、この法要を境に大きな川の向こう岸(仏の世界、彼岸)に渡るとされています。 上記管内の教区長を務めている私は、この法要の導師となり、多くの僧侶の読経の中、無事、密厳浄土(極楽浄土)に行かれますよう、「四十九日忌慰霊法要文」を読み上げ、心を込めてお祈りさせていただきました。 又、檀信徒の中で、60人が密厳流御詠歌「追弔和讃と彩雲」を奉詠、一般檀信徒・近隣の方々に涙を浮かべる人も。そして法要に参加した方々から沢山の義援金が寄せられました。当日まで本堂に設置していた「義援金箱」に協力いただいた分と併せた 281,112 円は、宗派宗務庁に納めさせていただきました。義援金は、被災地・被害者の方々への支援費として遣われます。

 地元の新聞2社(朝日新聞1、朝日新聞2、山形新聞)とテレビ局3社が取材・報道され、県内住民と一緒にお参りすることが出来ました。

 私達「人」は、地球上に数限りない程いる生き物の一種です。 私達もその宿命通り、生を受けたものとして何時かは死を迎えます。 しかし、毎日を普通に生きている私達は、「今日があって確実に明日もある」との錯覚に陥ってしまいます。 限られた人生に、「明日の保証」は有りません。 今回の大震災で犠牲になった方々は、大自然の脅威の中で、明日どころか、今の次の時間さえ奪われてしまいました。 余りにもむごい「人生無常」です。 改めて限りある人生を自覚し、一日・一時間を大事に生きることを心がけたいものです。

(このことについては後日、通常の法話の中でより詳しく触れたいと思っています)