いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第1回

その他 住職略歴・臨時法話など

「住職経歴とテーマの概略」

 法話の表題は、「いかに生きいかに死ぬか」です。今後、この表題で「住職法話」を連続掲載予定です。
 第1回の今回は、標記テーマに至った、私の経歴とテーマの概略について述べたいと思います。

1.経歴

昭和18年現在の圓應寺に生まれる
昭和41年愛知県の「日本福祉大学社会福祉学部」を卒業
愛知県立城山病院に「精神科医療福祉相談員」として勤務
昭和54年自坊に帰り、僧侶として歩み始めると共に、山形県立中央病院に「医療福祉相談員」として勤務
平成13年新病院新築移転にともない「緩和ケア病棟」の必要性を強調し、「緩和ケア勉強会」の立ち上げ、開設が具体化した段階では「緩和ケア病棟部会事務局長」として運営のあり方を検討し、「緩和ケア病棟運営要綱」を取りまとめる。
開設後は、定年退職までの3年間、その病棟の医療福祉相談員として勤務(兼務)。
平成16年山形県立中央病院を定年退職
現在に至る。(僧侶履歴は別項目参照)

2.「医療福祉相談員」から学んだこと

 もう一つの仕事であった「医療福祉相談員」としての経験は、私が住職として独り立ちする上で、大きな財産となった。特に、精神科の「相手の話を良く聴く」こと、そして緩和ケア病棟づくりを通しての「緩和ケア医療の考え方」、実際の勤務の中で、患者さんから教えられた「今日を生きることの大切さと死」は、仏教の教えと考え方に相通ずるものであり、檀信徒の皆さんをはじめ、多くの方々に「いかに生きいかに死ぬか」を語る礎となりました。別の言い方をすれば、現在の宗教活動と切っても切れないものになっていると思っております。

3.「いかに生きいかに死ぬか」について

① 日常の生活と学校教育の場

 「死」は禁句とされてきた反省が叫ばれて久しくなります。しかしこの禁句は、叫ばれている割には生活の中にあまり浸透しているようには思えません。

② 医療界にあって

 一方で、長い間医療界にあっても「死」は禁句であり続け、最先端の医療は「いかに命を延ばすか、一日でも、一分でも長く」が主題とされてきました。 しかし、生ある人はいつかは死を迎える鉄則の中、「いかに死んでいただくか」についても真剣に考えられるようになりました。 それが「緩和ケア医療」の考え方であり、この医療を私は「もう一つの最先端医療」と考えています。
 多くの緩和ケア病棟が生まれ、多くの病院で緩和ケア医療が実施されると共に、地域にあっても緩和医療が日々その重要性を増しています。しかし、一人ひとりの患者さんの立場で見ると、緩和ケア医療はまだまだ浸透していないのではないかと思えてなりません。「患者の死は医療の敗北」的考えがまだまだ主流のようです。当山形県にあっては、他の病院から緩和ケア病棟への紹介が余りにも少ない現状であり、地域に於ける緩和医療もまだまだが実態と言えるのではないかと思っております。したがって、医療界全体を見ますと、「死は禁句」とまでは行かなくとも死を正面から受け止める状態には、まだまだが実態と言わねばなりません。

③ 僧侶として

 仏教の真髄は「限られた人生をどう生きるか!」にあります。したがって僧侶こそ「死を直視」するものでなければなりません。近年、私が住職を務める真言宗智山派をはじめ、各宗派にあっても盛んに死と向き合うような活動が行われているように思います。
 しかし実際の現場にあってはあまり死を語る機会に出会うことはありません。これまでの宗派が死に対する取り組みが弱かった‥‥、いや、むしろ避けてきた歴史から来るものではないかと思います。僧侶こそ死を直視し檀信徒と語り合う必要があるのではないでしょうか。「死」を直視することは「生」を直視すること、生と死は表裏一体の関係であり、「いかに生きいかに死ぬか」そのものなのですから。

4.「いかに生きいかに死ぬか」の骨子

Ⅰ 現代社会の特徴は、その中で人々はどう生きているか【福祉的社会学的考察】

Ⅱ 緩和ケア医療に学ぶ生と死【生と死の考察】

Ⅲ 有限の人生そして死を意識して【「いのち」の考察】

Ⅳ 日々の生活の質をいかに高めるか【生活の質の考察】

Ⅴ 仏教に見る祈りと教え【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

※以上の項目をⅠ→Ⅴの順に詳細に掲載しますと、Ⅴの「仏教に見る祈りと教え」にたどり着くまで相当の期間を要してしまいます。したがって「Ⅰ」の項目についてある程度述べた後は、「Ⅱ」に移り、次第に「Ⅴ」に近づき、再度「Ⅰ」「Ⅱ」等に戻ることにしたいと思っております。その際は、「Ⅰ-1」「Ⅰ-2」の標記をしたいと考えております。