いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第189回

仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

207〜210

「真言宗の開祖である弘法大師・空海の「即身成仏」②」

 この項の前回は、真言宗の開祖である弘法大師・空海の「即身成仏」を通して、教えの根本に迫りました。今回はその後半です。今回は「智山伝法院開設講座」として、毎年度開設されている講座(平成7年度は、14種講座)の中で、私が参加した「密教基礎講座」が9回に亘って開かれました。その第4回「密教と即身成仏」と題して、智山伝法院常勤講師・別所弘淳師による講座がありました。その内容が大変参考になりましたので、その内容を紹介し、より「即身成仏」を考え深めたいと思います。

Ⅴ-207 弘法大師・空海の教え ~即身成仏⑤~

お盆(宗派のイラストより・転載不可)

 チョットその前に、先回の続きを

 この項の前回(前半)で述べましたように、三密修行をすることによって私達凡夫も「(生きている)この身がそのまま仏になる」ことが出来きます。しかし誤解を招くといけませんのであえて付け加えますが、この三密修行を一回やれば良いというものではありません。日常的に絶えず繰り返した修行でなければなりません。そうすることによって私達の胸の内にある「悩み、苦しみ、欲望、嫉妬」等々、いわば汚い泥の中から、蓮華の茎がす~っと伸びて、きれいな花が咲き誇るのです。この項の第161回、2024年8月1日付で取り上げた「四法印」の最後、「涅槃寂静」の心境。つまり「諸行無常・諸法無我を理解し受け容れ、煩悩という苦から解放された安らかで静かになった境地のことです。これによって、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる。これが仏教の目指す“さとり”の境地」に至る、それが「三密行」なのです。皆さん日々努力しましょう!(勿論私自身も!)

Ⅴ-208 弘法大師・空海の教え「即身成仏」 ~智山伝法院講座「密教と即身成仏」より①~

(宗派のイラストより・転載不可)

 「即身成仏」は密教の教えです。密教は真言密教を中心に、真言宗や天台宗。対して顕教は浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗など密教以外の宗派です。したがって「成仏」する考えが、同じ仏教でも異なるのです。密教は「三密行を修行すればたちまち成仏する」(即身成仏)のに対して、顕教は「六波羅蜜行」をとても長い時間である三劫修行して成仏する」(三劫成仏)との教えです。

 ※「六波羅蜜」については、この項の141回、2022年12月と146回、23年5月で詳しく述べました。その柱は「布施」、「自戒」、「忍辱」、「精進」、「禅定」、「智慧」です。簡単な意味合いは下記の通りです。

・布施

 見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。

・持戒
 道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。

・忍辱(にんにく)

 如何なる辱(はずかし)めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。

・精進

 不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。

・禅定

 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。

・智慧

 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、こちらの岸から彼岸への世界へ(娑婆の世界から仏の世界へ)・・・。

Ⅴ-209 「即身成仏」を讃嘆している弘法大師の「二頌八句」1 ~智山伝法院講座「密教と即身成仏」より②~

(宗派のイラストより・転載不可)

 弘法大師は、「即身成仏」をより分かりやすく説明するため、次の「二頌八句」としてその要点を説明。最初の一頌(頌は、仏の徳をたたえるの意味)は、「即身」(この身直ちに)の4句、第二頌も4句で「成仏」の項となっています。以下、即身の1句から順次紹介します。

◆第一頌・即身の四句

ⅰ「六大無礙にして常に瑜伽なり」

 地(堅さ)・水(湿気)・火(熱)・風(動き)・空(存在するための場所)の五大(物質と現象)と、識大(心)を加えた六大それぞれは、互いに障りなく常に結びついている。

⇒つまり、仏も衆生も六大を本体としており、本来一体であること。「全体が平等」であること。

ⅱ「四種曼荼各の離れず」(ししゅまんだおのおのはなれず)

 仏の社会を四種類の異なった形で表現した四種曼荼羅(「大曼荼羅」=仏さまのお姿を描いた曼荼羅。「三昧耶曼荼羅」=お姿そのものではなく、その仏さまを表す象徴となるもので描かれた曼荼羅。「法曼荼羅」=仏さまを表す種字(梵字)で描かれた曼荼羅。「羯磨曼荼羅」(かつままんだら)=仏さまの所作や行為を表している曼荼羅)は、それぞれ離れることがない。

⇒つまり、現象世界の様相は異なるが、本質は平等である。つまり「部分も平等」であること。

ⅲ「三密加持すれば速疾に顕る」

 行者が三密行を修すれば仏の三密と相応し、速やかに成仏することができる。

⇒つまり、仏と衆生は平等、三密加持によって同一化できる。つまり「全体=部分」であること。

ⅳ「重重にして帝網(じゅうじゅうたいもう)のごとくなるを即身と名ずく」

 六大を本体とする仏、自身、衆生が互いに結びつき、大日如来と本来一体である。これを即身と呼ぶ

⇒つまり、仏(大日如来)と自分と他の衆生は平等であること。そうです「あらゆる存在が仏と同じである」ことを意味しています。

Ⅴ-210 「即身成仏」を讃嘆している弘法大師の「二頌八句」2 ~智山伝法院講座「密教と即身成仏」より③~

(宗派のイラストより・転載不可)

◆第二頌・成仏の四句

ⅴ「法然に薩般若を具足して」

 「法然」は、本来という意味で、「薩般若」は一切智智、つまりすべてを知り尽くす智のこと。「仏智」ともいう。

⇒つまり、衆生は、本来的に仏の智慧(覚り)を持っていて、それに気づくことが成仏することに。

ⅵ「心数心王刹塵に過ぎたり」

 「心数」は、心の働き、「心王」は心の本体、「刹塵(せつじん)」は数えきれないほど多いこと。

⇒つまり、仏の智慧(覚り)が具わった心の本体は衆生の数だけ無数にある。したがってあらゆる衆生の心の活動は、仏の活動であること。

ⅶ「各の五智を具して無際智なり」
 「五智」は、曼荼羅の五仏(大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)が具えている智慧。「無際智」は、何一つ欠けたところがない智慧。

⇒つまり、すべての衆生が完全なる智慧を具えているということ。

Ⅷ「円鏡力の故に実覚智なり」

 「円鏡力」は、周囲の状況や人の心の状態を正確に察知する能力。「実覚智」は、心の迷いやとらわれが一切なく、物事を正確に、そして深く理解できる智慧のこと。全体として、仏の心が鏡の如くすべてをありのままに映し出すように、衆生も覚ることですべてをありのままに捉えることができること。

⇒つまり、仏と同じ智慧を持っているのだから、あらゆる衆生が、すべてをありのままに捉えることができる仏となれるということ。

以上をまとめると、「真言宗の教義の中心は、『我々(衆生)と大日如来(仏)が同一である』ということ」となります。