いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第179回

有限の人生そして死を意識して
【「いのち」の考察】197〜202

「ガン末期そして終活を考える 3」

 前回は、2024年の一年間、本堂での年回忌法要時に、参拝者の方々にお話しした(説法?)内容の2回目を掲載しました。今回はその3回目(最終)です。又、これまでも述べましたが本堂の語りでは、プロジェクターを使い、スクリーンに映像を映し出し、ポインターを使いながら話を進めています。(掲載している画像は本堂での画像そのままです)

Ⅲ-197 いかに終末そして最期を迎えるか ~そのための準備・終活の奨め~ ①

山形県立中央病院緩和ケア病棟の玄関へ

 ガンの終末期にどのような医療を選択するか。つまり痛みの緩和優先か?それとも延命治療優先か?を考えておくことです。先に示した国立がんセンターの「終末期に希望する医療」調査によると、国民の大多数は痛みの緩和を優先しているとの調査結果でした。

 そこで大事なことは、どちらを選択するかの検討は元気でいる今のうちに行うことです。ガンになってから又はその末期の時点での検討ではダメです。人生を自分を客観的に見つめられる元気な今、考え検討することが大事なのです。しかも自分一人で考えるのではなく、家族(人によっては身近な親戚、そして関係している医療と福祉ケアのスタッフを含めて)と共に考えることが大切です。その過程で自身の意思をはっきり伝えることが必要なのです。ガン末期の時点で、急に容体が変化し救急搬送された医療機関では、何も情報がない場合は必死に延命治療に専心します。その際、家族あるいは関係者が「本人は延命治療ではなく痛みの緩和を選択」と説明することによって、医療機関は本人の意思に沿った対応を含めて検討することになります。

Ⅲ-198 いかに終末そして最期を迎えるか ~そのための準備・終活の奨め~ ②

病棟から公園に

 このように人生の最終段階で受ける医療(場合によってはケアも)についての本人を中心にした家族、医療、福祉関係者との相談、検討を「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)と言います。厚労省はこのACPをより分かりやすい表現として、「人生会議」と名付けました。又、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」と定め、国民に話し合いを持つことを勧めています。

Ⅲ-199 「人生会議」の認知度

 この大切な「人生会議」について、厚労省は平成4年度以降5年ごとに「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」についてと題して調査を実施しています。直近の令和4年度の調査によると「人生会議」について「よく知っている」人は5.9%。「聴いたことはあるがよく知らない」人が21.5%。「知らない」人が72.1%という結果となりました。

 「人生会議」の認知と理解は国民の間に未だ定着していないのが実態です。

 繰り返しになりますが、平均寿命が延びても、今元気いっぱいの貴方でもお迎えは必ずやってきます。終活の一端としてご家族と一緒に人生会議を開きましょう。ただ、「死」を前提としている内容であることから「分かっていてもなかなか・・・・」という実態もあります。特に子どもから親に向かっての提案はしづらいのが実情ではないでしょうか。そこで、次のようなことをきっかけに考えてみてはどうでしょうか。

① ご先祖又は親戚の年回忌法要があったとき
② 知人の不幸があったとき
③ 有名人のご逝去が報道されたとき
④ テレビなどで「死」に関したドラマを観たとき
等々です。人生の最期の時期には多くの人が自分の意思を伝えることが出来なくなります。以上のような何かをきっかけに是非「人生会議」を持って下さい。

Ⅲ-200 語りの最後に

 以上を参拝者に語った後、最後に次の内容を語って閉めるのです。

 「皆さん、今皆さんに話したこと。実は話をしている私が私自身に語っていることでもあるのです。私の家系は短命で、母49歳、父64歳、祖母66歳そして一番長生きした祖父は72歳で亡くなりました。私は60歳で定年を迎えた時に、『何とか70歳まで生きたらいいナ』と思い、退職後の人生を3年刻みで考えていました。無事に70歳を迎えた時点では、2年刻み。そして驚く長寿となった80歳を迎え、人生を1年刻みで考えるようにしています。寺のこと、家族のことそして私自身の課題を翌年に先送りすることなく、今年中に対処、処理、仕上げるように努力しています。この姿勢はアノ人に会いたい、何処何処に行きたい(旅したい)等々趣味にも及び、結構忙しい日々で一年を過ごしています。そして毎年、正月に子供と孫全員の会合で、『人生の最終段階で受ける医療は延命治療ではなく、痛みの緩和を優先』とした内容を含めた文書を渡しています」と。

 この内容を令和6年の一年間お話ししました。この話の後、いよいよ法要の読経に入るのです。

Ⅲ-201 「いかに生きいかに死ぬか」の時代に ①

境内の三十三観音石像

 それにしても皆さん、世の中変わったと思いませんか?昔(少なくとも私が現職だった20年ほど前まで)は、僧侶が「死」を語ること、寺で語ることもありませんでした。一方で病院にあっても「死」を語ることはタブーとされ、結果としてガンの告知もなかった時代が長く続きました。以前にも述べましたが、退職して多方面から講演の依頼があり、そのテーマを「いかに生きいかに死ぬか」とお伝えすると、主催者から「大変申し訳ないが『いかに死ぬか』を省いて頂けませんか」と何回も言われた時代です。その度に私は「『いかに生きるか』とは『いかに死ぬか』と裏表の関係であり、『いかに生きるか』は『いかに死ぬか』と同義語です。この意味を分かっていただくのが私の話の内容です」と説明させていただきました。結果として幸いなことに講演が中止になったことはありませんでしたが、当時は正に「死」はタブーの時代だったのです。

Ⅲ-202 「いかに生きいかに死ぬか」の時代に ②

境内桜

 しかし時代は進み、ガンの告知は当たり前であり余命宣告まで進んでいます。一方で「平均寿命100歳」宣言の時代になり、老後の生き方が問われる時代の中、残念ながら2023年5月に休刊となった「週刊朝日」に「終活」という言葉が2009(平成21)年に初めて登場しました。今や「終活」は「就活」を追い越してしまった感じすらあります。その「終活」は、2010年「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされ、2年後の2012年には「ユーキャン新語・流行語大賞」トップ10入りとなりました。そうですこの言葉は今や流行語でありますが、日常語にもなっているのです。

 しかし皆さん!「終活」の中身、内容はどういうものでしょうか。当然ですが人によって異なります。ご案内のように私は住職です。寺には比較的高齢の方が多く来られます。茶を飲みながらよく話に出るのが「住職!オレも歳取ったんで○○を辞めたし○○も辞めた。身を綺麗に、終活してます!」といった話です。「ン・・・・?○○も辞めた?」。ひょっとして「終活」を勘違いしていない?と疑問を持つことが度々です。機会を見てこの終活の中身を考えてみたいと思います。

 時代は、国の方からも正式に「人生会議を」と呼びかける時代になりました。私が長い間課題として掲げてきた「いかに生きいかに死ぬか」の時代になったのです。