いかに生き、いかに死ぬか

圓應寺 住職法話

住職法話 第171回

仏教に見る祈りと教え
【仏教を今に生かす「いかに生きるか」の考察】

190〜195

「真言宗智山派密厳流遍照講東北・北海道地区山形奉詠山形大会について ②」

この項の前回は、昨年(2024年)6月に開催されたご詠歌山形大会に参加した我が圓應寺支部の参加準備模様を述べました。今回はその2回目です。いよいよ発表、裏事情も含めご詠歌への想いを述べます。

Ⅴ-190 5年ぶりの大会開催 ~厳粛に開会式が~

 さて、大会当日です。開会式が賑々しく、しかも厳粛に執り行われました。来賓として宗派の宗務総長・三神栄法大僧正の祝辞、密厳流遍照講詠監・遠藤光延師の歓迎の挨拶(遠藤師は当山形村山教区で今大会の会長)、山形村山教区長・村山英隆師の挨拶などがあり、密厳流遍照講事務局長・吉岡光雲師をはじめ多くの来賓と役員が登壇して進められました。

 当圓應寺支部は白組1番の奉詠に指定されました。そうです、開会式が終わると直ぐに登壇なのです。舞台に向かって左の壇上が紅組、右が白組です。それぞれの入壇は、先の組が奉詠中に音を立てないよう静かに入り、着座して先組が終わるのを待つことになります。

Ⅴ-191 登壇です

 いよいよ登壇です。舞台の袖に集合して入場のために整列です。舞台で座る位置を事前に決めているため、それにしたがって並びますが、いざ本番となると薄暗さも手伝ってまごついてしまうのです。ひそひそ声で整列し機を見て舞台に入ります。一同4列で進み、所定の位置まで進んだところで止まり、右を向いて舞台正面を向きます(客席に背を向ける形)。そうです、正面には真ん中に真言宗の究極の仏さま・大日如来、向かってその右に真言宗の宗祖・弘法大師、左には中興の祖・興教大師さまがいらっしゃるのです。余談ですが、これまでの大会では掛軸による像でしたが、今回は今風の科学力を生かした映像です。

 その映像に正対して、私の小声の合図で一礼です。頭を上げた後、客席に向き直らなければなりません。ここで又私が「ハイ」と小声で合図します。講員一同は練習した回り方でクルッと回って客席に正対します。ところが緊張状態の中、逆回りをしてしまう講員さんも。

 全員が正面を向き、合図で座り、奉詠の準備に入ります。法具を包んだ打敷を広げ、鉦を打敷の右下に、鈴を左下にそして撞木を右側に置きます。最後に経典を開いて正面に置きます。(・・・・・)緊張度は最高度に達しています。経典を開いたときに立っている鈴に触れ、「ガタッ!チン!」の音が・・・・・(そうです誰かが倒してしまったのです)。静かに静かにして紅組1番の終わりを待ちます。

Ⅴ-192 一同合掌

「白組2番 圓應寺『いろは和讃』」のアナウンスに 合掌して・・・

 先の組、紅組1番の奉詠が終わりました。一呼吸置いて司会進行者の「白組2番圓應寺『いろは和讃』」のアナウンスです。講員全員が合掌してそのアナウンスを聴きます。いよいよです。

Ⅴ-193 詠題そして詠頭

「とな~あえたてまつるいろは ご和讃に~ 」

 先ず私が詠題「とな~あえたてまつる いろはー ごわぁぁ~さんにー」と詠題を発声。全員が礼をします。続いて詠頭として「いろは和讃」の最初の一句「かぁ~すうみにぃ まぁ~ごう さぁーくぅらばぁなぁぁ」(霞にまごう桜花)と鈴、鉦を使って唱えます。これを受けて全講員が次の句から唱え始めます。問題は私も緊張していることです。上がってしまっていつも練習している音程を外してしまっては大変なことになってしまいます。私の出した音程に合わせて全講員が唱えるのですが、低かったり高かったりしてはうまく声が出ません。最初の出だしが肝心なのです。
 実は、大会で私がこの詠題、詠頭を務めるのは初めてのことだったのです。これまでは私の妻が務めてきたからです。今回は妻の喉の調子が悪く、やむを得ず私の役割となったのでした。何とか日頃の練習通りの音程で詠題、詠頭を務めることが出来、全員による奉詠が始まりました。

Ⅴ-194 「いろは和讃」1番と2番

お唱えした「いろは和讃」の歌詞と通釈(密厳流遍照講編集の「密厳流詠歌和讃解説書」)です。発表時間に制限があり、お唱えしたのは「いろは和讃」の1番と2番です。

1 霞にまごう桜花 錦織りなすもみじばも
  夜半の嵐にさそわれて 色はにほえど散りぬるを
  【通訳】霞と見間違えるほど咲き誇る桜の花も、
      錦の織物を幾重にも広げたような紅葉も、
      気づけば夜中の嵐に吹かれて散り果ててしまう。
      このように、すべては儚いものである。

2 流れ静かに行く水と 人の命の定めなく
  呼べど帰らぬ鹿島だち 我が世誰ぞ常ならむ
  【通訳】静かに流れゆく水も、人の命も、
      ひとつに留まることなく消え去ってしまう。
      ひとたび冥土へ旅立ってしまうと、
      呼んでも戻ってはこない。
      ずっとこの世に留まっていられる人などいない。

Ⅴ-195 「いろは和讃」の3番と4番

お唱えしませんでしたが、3番と4番の「いろは和讃」の歌詞と通釈です。

3 白黒(あやめ)も分かぬ冥府(よみ)の路 独りの旅と思いしに
  大師の御手(みて)に導かれ  有為の奥山けふこえて
  【通訳】暗くてわからない冥土への旅路は、
      独り寂しいものだと思っていたのに、
      お大師さまに手を引かれ、
      仏さまの世界へ導かれていく。

4 嬉しやここは密厳の 浄土なりけりあな貴(とう)と
  諸仏菩薩に守られて あさき夢みじゑひもせず
  【通訳】往き着くところは、真言教主大日如来さまの密厳浄土である。
      そこでは多くの仏さまに見守られ、
      安らかな心で満たされる。
      なんとありがたいことだろう。

※1~4番の最後の句を並べると「いろは歌」になります。
 実に素晴らしい歌詞(名曲)ではありませんか。